MASSIMO BOTTURA

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TEXT BY LESLEY MCKENZIE | PORTRAIT BY PHILL TAYLOR | FOOD

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マッシモ・ボットゥーラによる初の「良いシェフになるための方法」という講義はキッチンではなくサッカーフィールドで行われた。「調理することではなく、リーダーであるということが大切です。決断の仕方と一緒に働く仲間の瞳の奥にある物を読み取る方法を学ぶ必要があります」。と世界的に有名なシェフは話す。「私はこれらのことを15歳の頃サッカーを通し学びました。サッカーはとても得意でした。チームに頼られるくらいね」。
 
54歳の今でも、サッカーが得意なシェフは指導者としての才能を使って様々なことに挑戦している。ミシュラン3つ星レストランであり、2016年の世界のレストランベスト50のトップに君臨するレストラン、「オステリア・フランチェスカーナ」のオーナーシェフであるマッシモ・ボットゥーラは、斬新なイタリアン・キュイジーヌの勝者であり擁護者だ。そして彼は食品廃棄と世界飢餓との闘いにおいて、世界的に崇拝されている。
 
「イタリアは神のキスを受けた場所です。イタリア人は生きるために食べ、食べるために生きているんです。DNAに組み込まれているんですよ。」とボットゥーラは説明する。ボットゥーラは子供時代、家族で食卓を囲むことは生活の中心にあった。彼の祖母や母は彼の3人の兄妹や親戚の食事を献身的に作った。「ほぼ毎日20人以上で食事をしていてパーティーだったよ」と自家製トルッテリやトルッテリーニ等のエミリア地方の郷土料理を思い出しながら話す。ボットゥーラの料理は新境地を目指し続けている。ボットゥーラをワインと料理のツアーに連れて行った兄たちと。彼の記憶に特に残っているのは、「兄たちが私に無理やり牡蠣を食べさせたのです。それ以来、牡蠣が大好きになったんです!」(この経験が元となり、彼のレストランメニュー「Tribute to Normandy」が出来た)。
 
ボットゥーラが常に食との繋がりを感じているのは当然のことだ。簡単に言うと、「ガストロノミーの世界への扉が開かれ、私はそこに足を踏み入れた」と彼は話す。法曹界へ進むことを断念すると、1986年23歳のボットゥーラは地元モデナの郊外に小さなレストラン「カンパッツォ」をオープンさせた。モデナはとりわけバルサミコ酢発祥の地としての誇りをもち、ガストロノミーが盛んな北イタリア、エミリア・ロマーニャ地方の人口2万人に満たない街である。
 
カンパッツォ時代は、新米レストラン経営者にとって成長期だった。影響力のあるフレンチシェフ、アラン・デュカスやジョルジュ・コニーの下で学んだのもこの時期。またこの地で、彼に最も影響を与えるメンターの一人である街の住人、リディア・クリストーニとも出会う。彼女は伝統的なパスタの製法技術と様々なレストランのキッチンで長年にわたって得た知識を、この熱心なシェフに伝授したのだ(ボットゥーラは彼女が自分に「謙虚さとサービスの心構え」をも指導してくれると信じていた)。「この世界を探求すればするほど、私の料理に対する興味は情熱へと変わっていったのです。一度情熱を感じるともう止められません。それは生きがいとなるのです」。
 
しかし、ボットゥーラが本当にイタリアン・キュイジーヌの世界に傾倒し始めたのは90年代半ばになってからだ。「カンパッツォ」を売却し、モデナに協力者であるララ・ギルモア(現在の妻)と共に旗艦店となる「オステリア・フランチェスカーナ」をオープンさせた頃だ。「時として伝統は食材をあまり重んじないことがある。そのため、伝統を当たり前のこととして受け入れるのではなく、猜疑的に見ることにしています。過去から未来に向けてベストな物を提供するためです」とボットゥーラは話す。彼はその過程を、中国人反政府主義のアーティスト、アイ・ウェイウェイの1995年の作品 「Dropping a Han Dynasty Urn」 (この作品でアイ・ウェオウェイは2000年前の壺を叩き割っている)に対する心的イメージになぞらえている。「未来のために自分の過去を打ち壊すのです。それが重要なことです」。
 
現在は店を閉じている「エル・ブジ」(かつて世界一のレストランの栄誉に輝いている)の先見者とも言えるスペイン人シェフ、フェラン・アドリアの下で修行した後、ボットゥーラは新しい料理のスタイルを生み出すため、新しい視点で伝統的なイタリア食材と味付けを追及し始めた。「フェランは自分を表現する自由という点において、私の世界を広げてくれた人です」とボットゥーラは説明する。当時、ボットゥーラは既に抽象的な「カプチーノ」―これはイタリアの典型的なレシピからインスパイアを受けた料理で、ポテトや玉ねぎにバルサミコ酢を合わせ、チッチョリ・フロッリ(豚の背脂を取除いた肉をラードで揚げたもの)のパウダーを振りかけたクロワッサンと共に提供される―や三つの異なる熟成度合いのパルミジャーノ・レッジャーノチーズを主役にした、その名も「三種の食感と温度のパルミジャーノ・レッジャーノ」(現在は、ムースやサクサクのチップスなど五つの食感から選べる)によって、イタリア料理の基礎に少しずつ変化を加えていった。当初、ボットゥーラの料理へのアプローチは半ば冒涜的だと批判を受けていたため、「まず私がみなさんのお母さんより料理が上手なことをわかってもらう必要がありました」と彼は話す。しかし、彼の芸術的な創造物(料理)はノスタルジーも上手く表現する。例えば、モンテッラソーセージのサンドイッチの思い出は、泡状になったモンテッラを利用して学校でのランチタイムを蘇えらせている。
 
「オステリア・フランチェスカーナ」は前衛的なイタリア料理の聖地だけでなく、ボットゥーラとギルモアの現代アートへの情熱を称賛する場所でもある。ボスコ・ソディ、ギャヴィン・ターク、フランチェスコ・ヴェッゾーリ、デュアン・ハンソン等の作品が、12テーブルのレストランの壁に散りばめられている。また、彼の音楽に対する愛もメニューに表れている。例えば、有名なジャズピアニストに寄せた銀ダラがメインの「Tribute to Thelonious Monk」やビリー・ホリデーの曲に捧げた野菜とフォアグラのメドレーにソースがかかった 「Autumn in New York」がある。(ファーマーズマーケットで旬の食材を品定めするように、月一の地元骨董市でボブ・ディランやB.B.キングのオリジナル版のレコードを吟味しているボットゥーラの姿を見かけるかもしれない。)
 
2002年、「オステリア・フランチェスカーナ」は初のミシュランの星を獲得し、その後2006年に二度目の獲得、そして、2012年にはほぼ不可能とされている三度目の星を受賞している。2011年、国際ガストロノミー学会はこのレストランを世界一のレストランに選んだ。
 
ボットゥーラは、世界で最も称賛されるシェフとしてのステータスを守り続けることに全くプレッシャーを感じていない。しかし、彼は世界をよりよくするために自身の影響力を使うという使命を感じている。「声を上げ、私に向けられているスポットライトが他の人を照らすようにするために、自分の地位を利用することがとても大切です。それは、農家の方、チーズメーカー、また貧しい人かもしれません。問題を確認し、それから私に当てられる光を利用して問題を解決するのです」と彼は話す。適例として挙げられるのは、2012年彼の地元であるエミリア・ロマーニャ州が地震に見舞われた際、ボットゥーラはこの災害で商品価値を失った数千個ものパルミジャーノ・レッジャーノの塊を利用しチーズと黒コショウのリゾットのレシピを考案した。そしてこの料理は国のセンセーションとなった。「一般的にイタリア人はもの凄く社交的です。何か被害に遭えば、素晴しい瞬間を提供しようとするし、それが必要な時には、とても面倒見がよく他人を気づかいます」とボットゥーラは説明する。
 
これと同じような博愛精神は、ボットゥーラの非営利活動である「Food for Soul」にも反映されており、廃棄食料と飢餓に光を当てている。2015年のミラノ万博の開催期間中、ボットゥーラは「アンブロジアーノ食堂(”Refettorio Ambrosiano”)」をオープンさせた。芸術家、建築家、デザイナー、スポンサーがチームとなって、廃墟となっていた1930年代の劇場を現代風の食堂にしたのだ。 
世界各国より集まった60名のシェフが一丸となり、残り物を利用してミラノの恵まれない人のために料理を作ったのだ。その中にはアドリア・デュカス、レネ・レゼピやマリオ・バターリもいたのだが、このチームは5か月以上にわたり、万博から出された10トンもの破棄食料を1日あたり150食の素晴らしい食事に変えたのだった。「私は世界の最も影響力のあるシェフの力が必要です、彼らの“おばあさんの知恵”を知るために」、と料理人はキッチンから無駄を出すな、という教えをコンセプトとしているボットゥーラは話す。
 
「ミラノ万博が終わると、東京、ロンドン、世界中からこの食堂を開いて欲しいというリクエストを受けました。だから、妻のララに『どうしたら実現出来るかな?』と相談したんです」。こうして「Food for Soul Foundation」は生まれた。2016年のオリンピックの際にはボトゥーラ、ギルモア、彼らの2人の子供、そしてスターシェフの一団がホスト都市であるリオ・デ・ジャネイロに向かい、次なる現代風の無料食堂、「ガストロモティーヴァ食堂(“Refettorio Gastromotiva”)」をオープンさせた。「料理人たちは私のことを信頼してくれています。彼らは私のことを知っているし、どうしてこの様なことをしているのかも理解してくれています。料理人を31年間やってきて、信用を確立してきました。ミラノに来てくれたシェフ仲間たちみんなが『リオのためにまた集まりたい』と言ってくれたんです」。
 
彼の究極のゴールは、世界で推定8億6千万人の飢えた人々を2050年には半分に減少させるために取組むことである。「もし私が企業や政治家の視野を広げることが出来るなら、おそらく実現は可能でしょう」とボットゥーラは話す。「世界中に10、100、1000店舗とこの食堂を開いていくのです」。
 
つまりは、この無料食堂などのプロジェクトは「オステリア・フランチェスカーナ」なくして存在しえないということだ。「アイディアが生まれる研究所です。そこは、私たちが文化を生み出す場所であり、文化は知識と常に責任感をもたらします」。次のステップは、ボットゥーラ曰く、「スピリチュアリティを取り入れること」だ。如何にして?それは彼自身まだ分かっていない。分かっていることは、彼がリオで得た高揚感や責任感だ。「私は予期せぬことに常に前向きな気持ちでいます。何故ならば、驚きとは最も素晴らしいことだからです」と彼は言う。「これこそが楽しい人生を送る秘訣です」。

Massimo Bottura’s first lesson on how to be a good chef happened on the soccer field, not in the kitchen. “It’s not about cooking. It’s about being a leader. You have to learn how to take decisions and read the eyes of the people that are working with you,” says the world-famous Italian toque. “I learned how to do that as a young soccer player at age 15. “I was very good at what I was doing; the team counted on me.”
 
At 54, the chef—who still knows how to have his way with a futbol—hasn’t stopped putting his leadership skills to the test. As the chef patron of Osteria Francescana, the three-Michelin star restaurant that topped this year’s list of the World’s 50 Best Restaurants, Bottura is a champion of avant-garde Italian cuisine. On a global scale, he’s revered for his fight against food waste and world hunger.
 
“Italy is a place kissed by God,” explains Bottura. “We eat to live and we live to eat. It’s in our DNA.” Family meals played a central role in Bottura’s own childhood, with his grandmother and mother dedicating themselves to feeding the extended family, including Bottura’s three brothers and sister—“almost every day it was a party of 20 or more,” Bottura says, recalling Emilian specialties like homemade tortelli and tortellini. And with older brothers who brought a teenage Bottura along on food and wine tours, his culinary horizons continued to reach new heights. One particular memory stands out in his mind: “They forced me to eat oysters, and since then, I’m crazy about them!” (The experience gave way to a dish on his menu, the Tribute to Normandy).
 
So it’s no surprise that Bottura has always felt a connection to food. Simply put, “The door of the gastronomic world was open,” he says, “and I walked through it.” In 1986, after giving up on the idea of a career in law, a 23-year-old Bottura opened the doors to a small trattoria, Campazzo, on the fringe of his hometown of Modena, a city just shy of 200,000 in the gastronomy-obsessed Emilia-Romagna region of Northern Italy, which prides itself, among other things, as the birthplace of balsamic vinegar.
 
The Campazzo years were formative ones for the newly minted restaurateur, who also studied under influential French chefs Alain Ducasse and Georges Cogny during this period. It was here where Bottura also befriended one of his most influential mentors—a local villager named Lidia Cristoni who imparted her traditional pasta-making techniques and years of wisdom garnered from working in restaurant kitchens upon the eager chef (who also credits her with teaching him “humbleness and how to be ready for service.”). “The more I dug deeper into this world, the more my interest became a passion,” says Bottura. “Once you have a passion, you can’t stop. You live it.”
 
But it wasn’t until the mid-nineties—after Bottura had sold Campazzo and opened his flagship restaurant, Osteria Francescana, with his now wife and collaborator, Lara Gilmore, in Modena—that he began to really tilt the axes of the world of Italian cuisine. “Sometimes, tradition doesn’t have much respect for the ingredients. So I started looking at the past in a critical, not nostalgic, way, and bringing the best from the past into the future,” says Bottura. He compares the process to a mental image he has of a Chinese dissident artist Ai Wei Wei’s 1995 performance piece “Dropping a Han Dynasty Urn,” in which he smashes a 2,000-year-old vase. “I’m breaking my past to build the future. That’s the point.”
 
Following an apprenticeship with Spanish chef Ferran Adria, the visionary behind the now-shuttered elBulli (which also once held the distinction as the world’s best restaurant), Bottura began to approach his craft with a fresh perspective, harnessing traditional Italian ingredients and flavors into new forms. “Ferran was the one who really opened my mind and terms of freedom to express yourself,” explains Bottura, who had already begun to chip away at the cornerstones of Italian tradition with early, innovative dishes like the abstract Cappuccino, a savory riff on an Italian classic using potato and onion paired with balsamic vinegar, and served with a ciccioli frolli powder croissant, and Three Stages of Parmigiano Reggiano featuring three interpretations of its namesake cheese in different textures and temperatures (the current iteration of the dish features five options, including a mousse and a crunchy chip). “I had to show everyone that I really could cook better than their mothers” says Bottura, who was criticized early on in his career for his almost sacrilegious approach. A fusion of art and familiar Italian flavor profiles and ingredients, Bottura’s creations also capture a sense of nostalgia: Memory of a Mortadella Sandwich, for instance harkens back to his school-break lunches through a foam of mortadella
 
The restaurant is not just an ode to avant-garde Italian cuisine, but also Bottura and Gilmore’s shared passion for contemporary art: works by Bosco Sodi, Gavin Turk, Francesco Vezzoli and Duane Hanson dot the walls of the 12-table restaurant. Bottura’s love of music makes appearances on the menu in the form of dishes such as the black cod-driven Tribute to Thelonious Monk, an ode to the famed jazz pianist, and Autumn in New York, a dedication to Billie Holiday’s jazz song in the form of a vegetable and foie gras medley with a pour-over broth. (You’re as likely to find Bottura sourcing original Bob Dylan and BB King vinyl at the monthly local antique market as you are combing the farmers’ market for in-season produce.)
 
In 2002, the restaurant was decorated its first Michelin star, followed by a second in 2006, and a nearly unattainable third in 2012. In 2011, the International Academy of Gastronomy anointed Osteria Francescana the number one restaurant in the world.
 
Bottura doesn’t feel any pressure to maintain his status as one of the world’s most recognized chefs; he does, however, feel an obligation to use his influence to effect change. “It’s very important that I use my position to raise my voice, to move the spotlight from me to others. It can be farmers, cheese makers, or poor people. We confirm the problem, then we solve it using my spotlight,” he says. Case in point: when earthquakes struck his native Emilia-Romagna in 2012, Bottura devised a risotto cacio e pepe recipe to utilize thousands of wheels of Parmigiano Regiano that had been damaged in the disaster. The dish became a national sensation. “Italians in general are extremely, extremely social. We give our best moments when we are hit by something. When we need it we are extremely social and we care a lot about the others,” explains Bottura.
 
That same philanthropic spirit also shines through in Food for Soul, Bottura’s non-profit that turns the spotlight on food waste and hunger. During the 2015 ExpoMilan, Bottura debuted Refettorio Ambrosiano, turning an abandoned 1930s theatre into a modern-day refectory in collaboration with a team of artists, architects designers, and sponsors. Sixty chefs from around the world came together cook for the city’s underserved, using leftovers. Over a five-month period, the team—which included the likes of Adria, Ducasse, Rene Redzepi and Mario Batali—transformed 10 tons of food waste from the Expo into 150 healthy meals a day. “I want the most influential chefs in the world to understand the mentality of their grandmothers,” says Bottura of the concept, which teaches chefs not to throw anything in their kitchens away.
 
“After Milan, we received so many requests to open Refettorio in Tokyo, in London, everywhere. I said to Lara, ‘how can we do this?’” The Food for Soul foundation was born, and during the 2016 Olympics, Bottura, Gilmore, their two children, Alexa and Charlie, and another star-studded list of chefs headed to the host city of Rio de Janeiro to launch the next incarnation of his modern-day soup kitchen, Refettorio Gastromotiva. “[The chefs] trust me,” he says. “They know who I am and why I am doing this. During my 31 years of experience in this work, I’ve built credibility, and every single chef who came to Milan said, ‘I want to come back for Rio.’”
 
Brazil was much harder than Milan, he says, because he saw “things he couldn’t imagine.” But he was ready for them. “[These people] don’t have hope, and with [Refettorio Gastromotiva], they had something incredible to wait for. Because at 6 p.m., they could spend a couple of hours in a place that treated them like human beings.”
 
And whether he’s serving luminaries like Mark Zuckerberg and Robert De Niro, or children on the streets of Rio, Bottura’s approach is one and the same: “For me, it’s like I’m giving everything to everyone, because this is my passion,” he says. His ultimate goal, he says, is to work towards reducing a projected number of 860 million starving people in the world in 2050 by half. “If I can open the minds of people, of companies, of politicians, maybe we can do it,” he says. “Open 10, 100, 1,000 Refettorios around the world.”
 
At the end of the day, projects like the Refettorios can’t exist without Osteria Francescana. “It’s a laboratory of ideas. It’s where we create culture, and culture brings knowledge and a constant sense of responsibility.” The next step, he says, is bringing spirituality into the mix. How? He doesn’t know yet. What he does know is the feeling of excitement and responsibility he felt in Rio. “I always keep the door open for the unexpected, because it’s the most amazing thing ever to be surprised,’ he says. “That’s the secret of a great life.”